(外から見た)事業仕分け雑感


 日本では「事業仕分け」という名のもとで研究予算等の縮小・再編が行われているらしい。公開された議論を聞いていると、質問者・回答者の双方に準備不足の面があるようには感じるけれど、枠組みとしてはこういう議論の場が出来たことは良いことだと思う。


 ただ、ちょっと外から眺める気分で議事録や関連ブログを見ていて、2つほど怖いと思ったことがあった。あまりまとまらないけどメモ。


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 まだかなりの人が科学研究(基礎研究)と技術研究(応用研究)を混同しているらしい。そしてどちらかというと技術研究を評価する視点で双方を捉えている。これは怖い。もし社会の役に立つかどうか(リターンが見込めるか)という統一基準で科学研究と技術研究が取捨選択されるなら、ほぼ間違いなく科学研究は全滅する。これは科学者はプレゼンが下手だとか技術者はプレゼンの天才集団だとかそういう話ではなくて、そもそも両者が目指す方向が違うことに由来する。科学の役割は直近の社会の役に立つことではない。仕分けで発言権がある人は、せめてこの2つが相当に異なる種類の営みであること、でもそれらは両輪として発展していくこと、を理解する人であってほしいと思う。


 ただ、その違いを理解した上で、民意として日本は科学を捨てる、という選択肢はありうると思う(技術も捨てろ、という人はさすがにかなりの少数派だと思う)。80年代と違って日本はもはや経済大国とも言えなくなりつつあるので、「基礎研究のただ乗りをしている」と非難されることも、もうないだろう。幸いにも人類にはアメリカがあるので(下記も参照)、科学を志す人はアメリカに来れば良い。比較優位的な意味でもその方が人類全体としての効率は良くなるかも(個人的には、寂しさ、あるいは悔しさを覚える選択肢ではあるけれど)。


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 仕分けとは直接関係ないけれど、関連ブログを読んでいて気になった、もっと怖い(かもしれない)ことがある。


 文部科学省の資料によると、論文の絶対数およびその被引用回数、つまり大ざっぱに言って研究の量と質について、アメリカは他国を圧倒している。


http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpaa200801/08060518/015/008.gif
平成20年版 科学技術白書 第1部 第2章 第2節 我が国の科学技術を巡る課題−文部科学省
(REVの物置 - id:REVさん経由)


 あるいは、圧倒しすぎている。


 今回の日本の騒動は財政難がその発端になっている(と理解している)。アメリカだって盤石な経済基盤を持っているわけではなく、どちらかというと今後いつ壊滅的な経済破綻が起きて政治経済的に立ち行かなくなるか判らない。これほど集中が進んでいる中でアメリカが転けると、われわれが今知っている形での現代科学の相当部分は、一旦そこで途絶えてしまう危険性がある。もちろん論文としてまとめられたものは残るだろうけど、論文には書かれていない知見やノウハウ、研究者コミュニティが存続することによってのみ維持される人的・物的リソースは山ほどある。それらの継承が一旦失われてしまうと、もう一度回復するには莫大な時間とリソースが必要になる。


 人類の歴史を振り返ると、一旦興った科学が断絶するということは何度も繰り返し起きてきた。現代科学だけが特権的な地位にあると考える方が不自然かもしれない。ただそれはあまり自分で見たいと思う風景ではない。そういうリスクを分散させるためには、やはり日本の科学の火は消さない方がいいかも。(ってどっちやねん!)