大学院の話・少しだけ続き

 前回のエントリについては、トラックバック先でうまくまとめて&発展させてくださったのでもういいかな? とも思ったけど、もうちょっとだけ。

 (トラックバック・コメントしてくださった皆様、ありがとうございました。)

アメリカのある研究室では全く同じテーマを二人に出して競わせる、ということが行われていると聞きます。

大学院というところ/ikettieさんより)


 こういうのは昔(〜90年代)は結構あったようだけど、今もやっているところは少ないという印象がある(狭い行動範囲+伝聞なので偏りはあり)。
 あるアメリカ人PIの話。彼自身はラボ内競合があるラボ出身だったけれど、自分のラボでは絶対にこれはしないという。何故かというと、ご想像の通り人間関係が悲惨なことになるから。研究者なんてただでさえ競合プレッシャーによる精神的ストレスがきついのに、ラボ主催者がそれを更に煽ってどうすると。

 システムや競合度合いが変わる過程で過渡的に様々な苦しい状況が生まれることはあっても、あまりに非人間的な状況は淘汰されるものだと思う。失敗例をたくさん見たら、次の世代はきっと良くなる。自戒自戒。

ひとつは、「勝てば官軍」的な見方であるとの疑念がぬぐいきれないこと。悪い言い方をすれば自己責任論を主張される方の多くは「食いっぱぐれなかった」人たちであるということです。よって、「既に食いっぱぐれてしまった人」からは全く別の意見が返ってくる可能性は大いにあり得るでしょう。

昨日のエントリのその後:本当に問題なのは何か/vikingさんより)


 こういう要素があることは否定できない。まああくまで運良くまだ生き残れている立場での発言で、またこれから大学院に入る人へ、ちょっとでもミスマッチを防げたらいいなという意味合いで。(あるいはそれはミスマッチではなくて、心がけというかTips1つで全く変わるものかもしれない。)


 話は変わるのかもしれないけれど、自分のことを「勝った」と思ったことは一度もない。もちろん雇用が不安定というのもあるけれど、それ以上に、(脳)科学者を志した以上、たとえば物理で言えばニュートンアインシュタイン、生物で言えばワトソン・クリックあたりの発見に匹敵するような圧倒的な何かを脳科学で見つけない限り、「勝った」とは言えないと(個人的には)思っている。脳情報処理を貫く一般則はあるのか、あるとしたらそれはどのようなものか、あるいは意識とは何か・・・。
 そういう観点ではまさに科学界は死屍累々で、大学院でくじけそうな人も、とりあえず生き残っているけどまだ「何か」を見つけていない potasiumch も、書類書きに忙しいあの教授も、大差はない。不毛な衝突は避けつつ、切磋琢磨していけたらと思う。
 ロマンティックかどうかはともかく今は超高速で動く巨人の肩*1にも乗れたりするわけで、しんどい面もあるけど、科学をすることがこんなにエキサイティングな時代はそうないのでは、とも思う。

 

*1:今気づいたけど giants って複数形なんですね。合体して一人の巨人かと思っていたけど、むしろ各分野の巨人がいるというイメージか。八百万の巨人?