1月


 新年明けました。でもアメリカに住んでいるとあまり新年という感じがしない。


 年末年始は近くのベイでのクルーズを楽しんだ。大晦日の夜から元旦の午前までベイを巡りながら、飲んだり食べたり新年の花火を楽しんだりするという趣向のもの。久々に着飾って外に出た。たまにはこういうのも良い。


 院生の論文が無事に Nature にアクセプトされたとのこと。新年早々良い知らせ。いやがんばらないと。

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 今更ながらオリヴァー・サックス『火星の人類学者』を読む。様々な脳の病を抱える人達と、脳神経科医である著者の交流を描いたエッセイ。特に表題である「火星の人類学者」が面白かった。ここで紹介されるテンプル・グランディンさんは、自閉症アスペルガー症候群)を抱えながら動物学の博士号を持ち、大学(準)教授にして事業の経営者という人。自分の内面を語る言葉を持った自閉症の人というのが珍しい。


以下気になったところを抜粋

 テンプル自身は、機械的で単純な説明をした。「感情の回路が開いていないのです。それが欠陥です」同じ理由で、無意識というものもないと彼女は言った。思い出や思考を抑圧することがない。「わたしの記憶には抑圧されたファイルはありません」と彼女は断言した。「あなたには閉じたファイルがある。わたしには閉じてしまうほど苦痛を感じるファイルがないのです。秘密もない、閉じた扉もない――(中略)」
 わたしは驚いた。「あなたが誤解しているか、信じられないような心理構造の違いがあるということになりますね。抑圧というのは人間にとっては普遍的なことなのですから」しかし、そう言いながら、わたしには自信がなかった。抑圧が生じない、あるいは破壊されるか圧倒されてしまう器質的条件も想像できたからだ。 (p. 385-386)

 もうひとり、ある神経学の論文に紹介されている元判事は、頭に砲弾の破片があたって前頭葉が傷ついた結果、感情というものがまったく喪失したことに気づいた。感情がなければ偏見も生じないから、判事としてより公正な判断ができそうな気がする。実際、判事としては特別な資質ではないか。だが、彼自身はよくよく思案したあげく、辞職した。自分はもう関係者の動機に共感することができないが、正義とは単なる思考ではなく感情にもかかわるものであるから、障害を負った自分は適性がないと考えたのだという。 (p. 387)

 わたしは、金曜日の夜に星空を眺めていたときの彼女の言葉を思い出した。「夜空の星を見上げるとき、『荘厳』な気持ちになるはずだというのは知っていますが、でもそうはならないのです。そんな気持ちになりたいと思います。頭では理解できます。ビッグバンや宇宙の始まり、わたしたちはなぜここにいるのだろうといったことを考えます。宇宙は有限なのだろうか、それとも無限なのだろうかと」
 「でも、そういうとき、宇宙の偉大さを感じませんか?」
 「頭ではわかります」彼女は答え、続けて言った。「わたしたちは何者なのか? 死は終わりなのでしょうか? 宇宙には秩序を取り戻そうとする力があるにちがいありません。それともただ、ブラック・ホールなのでしょうか」 (p. 394-395)


”「見えて」いても「見えない」”にこんな話も。

17世紀の哲学者ウィリアム・モリヌーは妻が盲人だったが、友人のジョン・ロックにこんな疑問を投げかけた。「生まれながらの盲人が、手で立方体と球体を識別することを学んだとする。そのひとが視力を取り戻したとき、触らずに・・・どちらが球体でどちらが立方体かを見分けることができるだろうか」ロックは1690年の『人間悟性論』でこの問題を取りあげ、答えはノーだと述べた。 (p. 169-170)


色盲の画家”より

 わたしたちはひとつだけ現実的な助言をすることができた。I氏は中間的な波長の光のときモンドリアン図形をもっとも明瞭に見ることができたので、ゼキ博士がこの波長の光だけを通す緑のサングラスをかけたらどうかと提案したのだ。とくべつのメガネがつくられ、I氏はとくに明るい日光のもとではこのメガネをかけるようになった。I氏は喜んだ。 (p. 71)

 おお神経科学者が役に立ってるぞ。


火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)

火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)

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 妻が「Super Mario Galaxy」を買ってくれたので2人で遊ぶ。妻は自分でゲームをするのは苦手だけれど、他人がやっているのを見るのは楽しいという。気持ちはわかる。このゲームは一応協力プレイも出来るので、そういう人達にもうってつけのゲーム。

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 しかしこの「Sweet Sweet Galaxy」などは相当複雑なタスクをやっていると感じる。特に後半なんて、床も視点も、それに連れてコントローラーとマリオの動きの対応関係も3次元的に変化していく。でも何度かやっているうちになんとなくうまく動けてしまう。脳内には視点移動も含めた3次元的なリアルタイム・アフィン変換/予測機構があるのか、あるいはなにか hacky なやり方で解いているのか・・・。