SFAA翻訳 [13-24]-[13-25]

 SFAA翻訳。第13章の続き([13-24]-[13-25])。optic_frog さんが後の部分を担当してくださったので、第13章は一応これでおしまい。あとはレビュー。

(第13章の続き)


健全な質問の精神を推奨する。

 科学、数学および技術は、それらを実践している人々による制度化された懐疑主義のおかげで成功している。彼らの中心的な信条は、いかなる証拠も、論理も、そして主張もいずれは疑われるものであり、いかなる実験も追試の対象となる、というものである。科学の教室では、教師が以下に述べるような質問を投げかけるのが通例となるべきである:どうやってそれを知るの? その証拠は? その証拠はどう解釈するの? 他の説明の仕方や、問題を解くもっと良いやり方はない? これらの質問の目的は、そのような質問をしたりそれに対する答えを組み立てる習慣を生徒に身につけさせることである。


教条主義を避ける。

 生徒は、不変の真理としてではなく理解を拡張する手段として科学を経験するべきである。つまり、教師は彼ら自身や教科書が常に正しい絶対的な権威であるというような印象付けをしないように注意しなくてはならない。科学的な主張の信憑性や、受け入れられていた学説が覆されること、科学者間の意見の相違をどう考えるかなどの題材を取り扱うことで、科学の教師は、生徒が科学を信頼して受け入れることの必要性と偏見のない心を保つことの重要性との間のバランスを取る手助けをすることができる。




(原文)


Encourage a Spirit of Healthy Questioning

Science, mathematics, and engineering prosper because of the institutionalized skepticism of their practitioners. Their central tenet is that one's evidence, logic, and claims will be questioned, and one's experiments will be subjected to replication. In science classrooms, it should be the normal practice for teachers to raise such questions as: How do we know? What is the evidence? What is the argument that interprets the evidence? Are there alternative explanations or other ways of solving the problem that could be better? The aim should be to get students into the habit of posing such questions and framing answers.


Avoid Dogmatism

Students should experience science as a process for extending understanding, not as unalterable truth. This means that teachers must take care not to convey the impression that they themselves or the textbooks are absolute authorities whose conclusions are always correct. By dealing with the credibility of scientific claims, the overturn of accepted scientific beliefs, and what to make out of disagreements among scientists, science teachers can help students to balance the necessity for accepting a great deal of science on faith against the importance of keeping an open mind.

今日の雑談


 ラボで話していて、DARPA(国防高等研究計画局)からお金をもらうことについてどう思うか、という話になる。国防省のヒモ付き予算。うちのラボは(幸いにも?)これまでのところ DARPA への予算申請をするに至ったことはないのだけど、わりと身近な神経科学研究室でも DARPA からの支援を受けているところが結構あるのは知っている。

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 たとえば fMRI 等を用いたある種の脳内情報デコーディングが実現出来たとして(まだしばらく先の話とは思うけど)、拷問かそれに類することをして自白させるのと脳をスキャンして情報を得るのとでは、どちらがより非人間的だろうか?*1 世の中から拷問の数を減らせれば、それは人類の役に立つ科学の使い方だろうか?

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 2003年にBCI(脳・コンピュータインターフェース)が話題になったときにもちょっと Nature で DARPA 関連の話題があった。


Neuroengineering: Remote control
(神経工学:リモートコントロール
Hannah Hoag
Nature 423, 796-798 (19 June 2003)


↑に対する返事↓


Military-funded research is not unethical
(軍事費に支援された研究は非倫理的ではない)
Daniel S. Rizzuto, Boris Breznen & Bradley Greger
Nature 424, 369 (24 July 2003)

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 これに関してはオノ・ヨーコがすごい誤解をしているという話もあったけれど、どちらかというと時系列としては BCI が出来て「軍事関係者達は、すぐにこの実験の意味に気が付」いたのではなくて、「軍事関係者」(DARPA)の多大な財政支援があったからこそこれだけ急速に BCI が現実に近づいた、という方が近いのかも。

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 元ルームメイトがアカデミアの薄給に耐えかねて企業に行くことにした(ブルータスお前もか!)のだけど、内定をもらった有力候補の一つに軍事系の基礎研究所があるという。今やっている内容に一番近いことをやっているのはそこなので迷っているとか。博士やポスドクの行き先として、軍事産業というのは一定の存在感を持っている。たぶんある種の景気対策や雇用対策として機能している面もあるのだろう。

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 今のところ定見なし。なんとなく日本の教育を受けた身として、出来れば軍事系のこととは距離を置いていたいなあ、という気分ではある。

*1:本人の意図に反しているのでどちらも非人間的であるのは確かなのだけど。