実験データ共有を義務付け?


 ボスが出張から帰ってきた。どうも理論系の神経科学者(以下理論屋)が


国家予算にサポートされて得られた全ての実験データは国民の共有財産であり、公開を義務付けられるべきものである。実験者による独占は許されない。


と科学予算の配分を決める某政府機関に訴えたらしい。ボスはその訴えに関する実験系科学者(以下実験屋)サイドからの参考人の一人として呼ばれたと。実験データ共有をめぐる実験屋 vs. 理論屋の微妙な関係というのは日本でもあったけれど、スポンサーに訴えて強制力を持たせようとするとは。なかなかやるなあ。


 実験屋の意見としては:


A:「まあいいんじゃない? もう Neural Prediction Challenge とかもあるし、ボランティアとしてデータの一部を提供するのは別にかまわないよ。」
  (理論系に近い実験屋の某教授)


B:「共有するのはいいけど、そうするとサポートとか余計な仕事も増えるわけだし、何かインセンティブがあればいいね。たとえば追加の研究費とか。」
  (ある程度標準化が可能なデータを扱う某教授)


C:「はぁ? 何言ってんの? データが欲しければ自分で実験すれば?」
  (実験に超絶技巧ともいうべき職人技が必要とされる某ラボの教授)


というのが代表例で、あとはその中間の意見という感じだったとの事。


 Bを補足すると、現状で神経科学の生データというのはそのまま共有できるほど標準化されてはいない(あるいは出来ない)し、その解釈にはある程度の前提知識が必要。ちゃんと使える形で共有しようと思ったらドキュメントを整備した上である程度のアフターサポートも必要になるわけで、共有を義務付けるならそういう仕事に対する補償も含めて考えてね、という話らしい。


 個人的にはデータ共有はやったらいいんじゃないかな、と思う。たぶんその方が神経科学の進歩は速くなるだろう、というのが理由。実験者による論文公表後、1〜3年の期間を経て公開とか?


 基本的にはBの流れが試案の一つになっているらしく、共有に当たって例えばポスドク1〜2人・年分ぐらいの追加予算があればどうだろうか、と。まあサポートのコストとしては妥当? どうせサポートなりコンサルティングが必要なら、金より論文の共著者扱いの方がインセンティブにはなると思うけど・・・。


 口の悪い某氏の言葉を借りれば、


理論屋は実験屋のことをアホの集まりだと思っていて、

実験屋は理論屋のことを怠惰なアホの集まりだと思っている


というのが現状としてある(ただし前者は「数学・統計が出来ない」という意味で、後者は「データの見方がナイーブ過ぎて間違ったand/or無意味な結論を出しがち」、ということでその内容は少し異なる)。より複雑なところを調べるためには様々な視点が必要だと思うので、共有を前提とするならするで、両者の長所を生かして研究していけるような仕組みになればと思う。でもたぶん最初は相当大変。少なくとも初期の段階では実験屋同士での共有の方が実りがありそう。


 自分の取ったデータから、思いも付かないような結果を導き出せる人がいたら見てみたい。ただ一方で、脳を全く扱わないで脳の科学をやろうと考える人の感覚はちょっと理解できない、という気もする。