食事とお国柄の話


日本ガラパゴス なつやすみにっき(1) 「パラダイス鎖国=今川義元」説
(michikaifuさん)


を見て、日本育ちの台湾系カナダ人の友人が言っていた「なぜ日清戦争で中国(清)は日本に負けたのか」という話を思い出した。


 友人曰く、日本人兵士は食事が冷たくても我慢できたけれど、中国人兵士は冷たい食事には我慢がならず、戦場でもご飯時には火を炊いて食事を作っていた。このため、部隊がどこにいるのかがバレバレになって負けたのだとのこと。


 信憑性のほどはよく判らないのだけど、ある種のステレオタイプとして面白い話だと思った。美味しいものを知っていて、いつでもそれにこだわりを持ちたいのか。それともそれはそれ、これはこれと分けて考えるのか。中国人がどこの国に行ってもチャイナタウンを作るのは、人数の問題もあるのだろうけど、生活のスタンダードをどの辺に設定するべきかということについてより徹底した考えを持っている、ということなのかも知れない。日本人は朱に交われば赤くなるというか、スタンダードを使い分けることにあまり躊躇しない?


 そういえば先日日本に一時帰国したとき、成田と羽田でお土産として売っているお菓子のレベルがあまりに違うことに愕然とした。つまり、成田のお土産は外国人に向けたお土産であり、端的に言って冴えない。一方で羽田は日本人が(目と舌の肥えた)対日本人用としてお土産にするものを扱っているせいか、どれも相当な凝りようだった。日本国内の食文化が世界標準からかけ離れて高水準なことを改めて垣間見た気がした。同時に場所によって相当に顔を変えるということも。


 特に落ちはなし。

 「野戦食」と言えば、この国は一応いま戦時中なんだよな。


      • -

 食事とお国柄といえばもう一つ思い出したのが、スウェーデン系移民の友人に連れられてIKEA(スウェーデン系の巨大家具屋)に行ったときのこと。買い物を済ませたあと、店についているスウェーデン料理屋でミートボールとジャガイモのジャム添えを食べた。その時の彼女曰く、


「この料理、しょぼいと思ったでしょう? でもね、スウェーデンで外に郷土料理として出せるものは、これが唯一で、本当にこれしかないのよ。日本みたいに sushi や tempura や miso soup や、そんなにバラエティーに富んだものはないの。これがスウェーデンでおもてなしとして出せる全てなの。だから、味わって食べてね」


と。味わって食べました。sushi も tempura も miso soup も作ったのは知らない昔の誰かであり、そうやって背景をつけるのはフェアではないと思うのだけれど、まあ悪い気はしなかった。



追記 7/15

昭和32年(1957年)、帝国ホテル内にオープンする新レストランをどのようなコンセプトとするかを考え続けていた当時の支配人 犬丸徹三は、新しく開設されたスカンジナビア航空の東京−コペンハーゲン航路でコペンハーゲンにわたり、宿泊地で“スモーガスボード”というスカンジナビアの伝統料理に出会いました。
 それはもともと友人知人が有り合わせの食べ物を持ち寄って、大勢で賞味したことから発展したもので、魚介料理や肉料理、薫製、酢漬けなどを豊富に用意し、好みの料理を自由に食べるご馳走でした。 
 魚介類を始め日本人にもマッチする味覚、豪華なボリューム、好みのものを自由に食べるスタイルのユニークさ。“これはいける”と確信した犬丸は当時パリのリッツ・ホテルで研修中だった村上信夫総料理長にこのスモーガスボードの研究を指示しました。 
 そして村上が帰国した昭和33年(1958年)、帝国ホテル第2新館地下1階に、わが国初のスモーガスボード専門レストランが誕生。北欧の海賊の名にちなんだ「インペリアル・バイキング」と名付けられたスタイルは、連日満員の人気を博しました。 
 このときのネーミングである「バイキング」が、やがてわが国の“食べ放題”スタイルの代名詞となりました。 
 現在、「インペリアル・バイキング」の伝統は、帝国ホテル本館17階のブフェレストラン「レインボールーム」に受け継がれています。 

バイキング料理より。元々は帝国ホテルのページ内の文章だったらしいのだけどリンク切れでたどれず。)
REVの日記 @はてな - REV さん経由)


という話も。