「SiCKO」


 いろいろ話題になっている「SiCKO(シッコ)」を観に行った。Michael Moore 監督がアメリカの医療政策問題を描いたドキュメント映画。思ったことをダラダラと書いてみる。ネタばれ・・・を気にするような映画でもないかな?


 アメリカに来てまだ間もない頃、妻が包丁でちょっとシリアスな怪我をしたことがあった。勤務先の医療保険は妻にも適用されるものだったのだけれど、まだ保険カードも届いていない頃だったこともあり、診療を受けるまでに結構苦労した。自分の加入している保険会社と契約のある病院にしか行けないし*1、誰に聞いても救急車を呼ぶのはやめろという。保険に入っていたとしても、あとで莫大な金額を請求される可能性が高いから*2


 一息ついてからのボスの言葉が


医療保険地獄、アメリカへようこそ!


「日本は Universal health care (国民皆保険制度)があるんだよね。アメリカでも導入しようという話があったんだけど、保守のf--k野郎どもが『国民皆保険共産主義国家のやることだ』と言ってつぶしたんだ。全く気が狂ってるよな」*3


その時は彼一流のジョークか、あるいは何かの誇張かと思っていたけど、本当にそういう経緯があったらしい。


 で、映画で紹介されているような状況が今も続いていると。つまり、人口の約15%は医療保険未加入で、その理由は保険料が高すぎて払えないか、保険会社の基準を満たしていない(痩せすぎ、太りすぎ、特定の病気あるいは病歴がある)ため。そのため大工仕事で指を切断しても700万円は払えないので接合手術をあきらめたりする。
 保険に入れたとしても、営利企業である保険会社は必死で支払い拒否の理由を探す(支払い申請を却下した数の多い医者にはボーナスが出る)。いわく、22歳でガンになるなんて普通ありえないから支払い拒否、交通事故にあって救急車で運ばれたら、事前に保険会社に救急車の使用を相談しなかったので支払い拒否、等々。そして支払能力のなくなった患者を病院が路上に捨てに行く・・・。
 まさに "Who are we?" と問いたくなる現状がある。俺達は一体何者だ? アメリカは文明国で、そこに住む人たちはおおらかで気前のいい人たちじゃなかったのか? いつから市民をゴミのように捨てる国になったんだ? と。


 国別の国民皆保険の有無を調べてみた。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/thumb/c/c5/WORLDHEALTH2.png/500px-WORLDHEALTH2.png
(Wikipediaより。青(藍)が国民皆保険制度がある国。緑が導入予定。拡大図はこちら。)


 ヨーロッパのほぼ全域と南米の多数の国、カナダ、オーストラリア、ロシア、それに日本と韓国、台湾等には国民皆保険制度がある。大人口を抱える国ではインドが導入予定、中国は制度なし(あれ? 「国民皆保険共産主義国家のやること」だとか言ってなかったっけ?)。


 イラクアフガニスタンには国民皆保険制度がある。でもそれはアメリカの戦争資金(war funding)で賄われていると。これすごいなあ。なんと言ったら良いのか、3つぐらい間違えているような。映画を見た後にこういうことを知ると、なにか吐き気が。


 もちろん、国民皆保険があれば何でも良いというわけではないし、劇中では天国のように描かれているフランスやカナダ、あるいは日本だって問題を抱えている。「誰もが最高水準の治療を遅滞なく、無料または支払い可能な金額で受けられ、財政的にも維持可能な医療保険制度」というのが理想なんだろうけど、現実的にはどこかでバランスを取らざるを得ない。アメリカの現状はそのバランスの取り方があまりにも、あまりにも偏っているということか。予防医学的な考え方が進んでいるという点ではアメリカにもアドバンテージがあるかとも思うけど、それもかなり階層差がある気もする。


 映画のあと、館内で拍手が起きた。結局のところ、医療関係者と保険業界の人以外で国民皆保険導入に反対する理由のある人はそんなにいないと思うのだけど・・・。共産主義化への第一歩というのを本気で信じている人がいるのだろうか。州政府のレベルでは、カリフォルニア州などいくつか州民皆保険を検討しているところがあるとのこと*4。がんばれシュワちゃん



 (一応書いておくと、学者として滞在している分にはアメリカの医療・保険制度に不満を感じることは多くはない。うちの大学の場合は家族全員分の医療、眼科、歯科(アメリカではこれらは全部別の保険)から死亡した場合の本国への遺体送還費用保険*5までほぼ全額大学持ちでカバーされている*6。身近な例ではコンタクトレンズ代も年間に一定量は保険でカバーされるので、日本より自己負担額は少ない。歯列矯正もこちらでは保険が利くので、時間があればこちらにいるうちにやっておこうかと思ったりもする(面倒なので行ってないけど)。利用できる病院が限られているというのは不便だけれど、近くにある総合病院が使える保険会社と契約していればそれほど問題はない。大病を患ったときのことは判らないけど、まあその場合はこの国に居る意味はなくなる。)

 

*1:一般的なHMOという制度を利用した場合。どこでもいける契約形態もあるけど、負担額が高い。

*2:いま考えたら、AIUの保険にも入っているのでそちらが使えたのかもしれない。

*3:うちのボスは口が悪い。

*4:他にはメイン州マサチューセッツ州バーモント州ハワイ州。ソースはNY timesの記事

*5:なんか不思議な保険だけど、今のビザではこれに入っておかないと違法滞在になるらしい。

*6:もちろんこれは明示的に給料から差し引かれるのか天引きされていて気づきにくいだけなのかの違いにすぎないのだけど。ところで、こちらに来たときに保険の加入審査等を詳しくされた覚えはないのだけど、この辺はどうなっているのだろう? 保険会社の視点から言えば、どちらかというと外国から来た素性のわからない人に対する審査の方を厳密にするべきではないのだろうか?